アンリ・セアール 「追悼演説」
Discours de M. Henry Céard, le 8 juillet 1893
(*翻訳者 足立 和彦)
解説 1893年7月8日に行われたモーパッサンの葬儀では、エミール・ゾラによる墓前での追悼演説に続いて、アンリ・セアールのごく短い演説があった。多くの新聞にはゾラの演説のみが掲載されたが、10日付『レヴェヌマン』L'Événement 紙には、ゾラの演説に続けて掲載されている。
Herny Céard (1851-1924) は、1880年『メダンの夕べ』に短編「瀉血」« La Saignée » を掲載した「メダニスト」の一人。1881年には長編『麗しの一日』Une belle journée を発表。「何も事件が起こらない」という自然主義の理念を極限まで推し進めた作品として有名。1906年には『海辺の売地』Terrains à vendre au bord de la mer も発表しているが、セアールはジャーナリズムの活動に精を入れるとともに演劇にも関心を向け、アントワーヌの「自由劇場」との関わりも深かった。
この短い演説に特別重要な点があるわけではない。ただ、ここでセアールが語っている「脂肪の塊」朗読の場面は、後にコナール版全集序文を草したポール・ヌヴーが記したことで有名なものであり、恐らくこのセアールの言葉がもとになったものと思われる。実際にそのような出来事があったのかどうかは、定かではないけれども。
ここでは原文とともに訳文を掲載する。
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我々の共同執筆者であるアンリ・セアールの番になり、彼はモーパッサンの友人の名において別れの挨拶を述べた。以下がその言葉である。
十四年前になりますが、親しく打ち解けあって『脂肪の塊』の朗読を聴いた後、四人の文学仲間は思わず立ち上がり、ギ・ド・モーパッサンの内にある一人の作家に敬意を表したのでした。その作家は、彼の時代の文学における輝かしい位置を約束されていました。
流れゆく年月が、彼らが正しかったことを示しました。
その証言としてこの葬式に対する皆さんの熱意が、その証拠として世界中の新聞によって表明された哀悼の念か、私にはあるばかりです。
かつて四人の青年たちが、『メダンの夕べ』の共同執筆者の名において一人の友人の将来に向けて送った挨拶を、苦しみつつも、私個人のささやかな名において一人の大家の棺に捧げるために、今日ここに私はやって来たのであります。
『レェヴェヌマン』紙、1893年7月10日
Discours de M. Henry Céard
Notre collaborateur Henry Céard a prononcé, à son tour, au nom des amis de Maupassant, un adieu dont voici les termes :
Il y a quatroze ans, quatre camarades de lettres, dans l'intimité, écoutaient la lecture de Boule de suif, et, spontanément levés, saluaient en Guy de Maupassant un écrivain promis à une place retentissante dans la littérature de son temps.
Les années, en s'écoulant, leur ont donné raison.
J'en ai pour témoignage votre empressement à cette cérémonie funèbre ; j'en ai pour preuve les regrets exprimés par la presse du monde entier.
Aujourd'hui, ce salut que quatre jeunes gens donnaient jadis à l'avenir d'un ami, au nom des collaborateurs des Soirées de Médan, en mon humble nom personnel, je viens douloureusement l'adresser ici, au cercueil d'un maître.
L'Evénement, 10 juillet 1893.