モーパッサンの詩

La poésie de Maupassant




[...] les vers qu'il publie d'ordinaire sont peu dans la note de ce que je lui ai soumis. Il aime les choses dites poétiques et les fadeurs sentimentales, persuadé que le domaine de la Poésie va des Étoiles à la Rosée et de la Rosée aux Étoiles, et que, si l'on veut chanter quelque chose de matériel, on choisit les roses et leur parfum (jamais leurs feuilles, par exemple).
(Lettre à Gustave Flaubert, avant le 13 janvier 1880, in Flaubert - Maupassant, Ccorrespondance, Flammarion, 1993, p. 209.)

「彼が普通出版するような詩句は、私が彼に預けたものの調子の中にはほとんど見られないものです。彼はいわゆる詩的なもの、センチメンタルなつまらないものを愛し、「詩」の領域は星から露まで、そして露から星までだと信じているのです。なおかつ、もし誰かが何か物質的なものを「詠う」とするなら、それはバラとその香りだというのです(例えばその葉であるというようなことは、決してありません)。」
(フロベール宛書簡、1880年、1月13日以前)

 モーパッサンが詩人であった、と断言することから始めたい。
 今日、フランス本国においても、モーパッサンが詩を書いていたことを知る人は少ない。モーパッサンといえば誰しもが、優れた短編作家というイメージを抱くだろうし、それが間違っている訳ではない。だが、彼が詩も書いたという事実を、ここで少しばかり強調しておきたい。
 まずは事実を確認しよう。モーパッサン最初の詩として今日知られているのは、彼が13歳の時のものである。実質的には十代後半から積極的に詩を書き始め、1870年代、すなわち二十代の彼の文学活動の中心は、詩(および韻文劇)を書くことにあった。1880年、『メダンの夕べ』所収の「脂肪の塊」で彼は散文作家として実質的なデビューを果たすわけだが、散文家モーパッサンを準備したのは、他ならぬこの十年以上に渡る詩作であった。

 ではモーパッサンの試みた詩はどのようなものであったか。
 当時の多くの文学青年がそうであったように、十代の一時期、彼はロマン派(とりわけミュッセ)の洗礼を受ける。しかし二十歳の時に体験した普仏戦争、およびその後、パリに出ての貧しい小役人としての生活、更に自身の病気も発覚する中で、ロマン派風の理想主義は、彼の現実と徹底的に相容れないもののとなる。青春時代の一時期、ルアンの詩人、ルイ・ブイエの師事を得たこと、そして言うまでもなくフロベールのもとで長い修行を続ける過程において、モーパッサンのリアリズム文学観、そしてペシミスティックな世界観は確固たるもとして形成されるに至る。
 70年代という時代状況について簡単に触れておくならば、小説においてゾラ主導の自然主義が世間に認知された時代であり、詩においては高踏派(パルナス)の活動が一段落を得た後、一時的停滞の時期にあった(マラルメ、ヴェルレーヌ、ランボーらが広く知られるのは80年代半ば以降)。
 以上のような状況において、モーパッサンの試みた彼独自の詩とは、理想主義を廃して、現実の中に詩を見出すこと、そして同時に詩の中に、現実の世界を導入する、ということであったと言える。
 冒頭の引用は、彼の最初にして最後の『詩集』 Des vers の出版を、出版者シャルパンティエに催促する最中、フロベールに宛てて書かれたものである。人が一般に「詩的」と呼ぶものではない、現実にある具体的なものを「詠う」こと。そこにモーパッサンの目指すものがあった。

Je pris et je baisai ses doigts ; elle trembla.
Ses mains fraîches sentaient une odeur de lavande
Et de thym, dont son linge était tout embaumé.
Sous ma bouche ses seins avaient un goût d'amande
Comme un laurier sauvage ou le lait parfumé
Qu'on boit dans la montagne aux mamelles des chèvres.
Elle se débattait ; mais je trouvai ses lèvres !
Ce fut un baiser long comme une éternité
Qui tendit nos deux corps dans l'immobilité.
Elle se renversa, râlant sous ma caresse ;
Sa poitrine oppressés et dure de tendresse,
Haletait fortement avec de longs sanglots.
Sa joue était brûlante et ses yeux demi-clos ;
Et nos bouches, nos sens, nos soupirs se mêlèrent.
(« Au bord de l'eau » (1876), in Œuvres poétiques complètes. Des vers et autres poèmes, Publications de l'Université de Rouen, 2001, p. 58.)

僕は彼女の指を手にとり口づけした。彼女は震えた。
彼女の手は瑞々しく、漂う香りはラヴェンダー
そしてタイム。彼女の服もその香りに包まれて。
僕の唇の下、彼女の胸はアーモンドの味
野生のローリエや、香り立つミルク
山間で、ヤギの乳房から飲むように!
彼女は暴れる。でも僕は彼女の唇をとらえた!
それは永遠のように長い口づけ、
僕達二人の体を不動の中に差し出す。
彼女はのけぞり、僕の愛撫にあえぐ。
押しつぶされた胸が愛情に硬くなり、
長いすすり泣きとともに激しく喘いだ。
頬は焼けるように、目は半ば閉じられ、
僕等の唇、感覚、吐息が交じり合った。
(「水辺にて」、1876年)

 現実の中に詩情を求めるということ。具体的には、自然との交感であり、自然の只中において身体的な官能の瞬間を求めるということである。一読その印象は荒々しく、極めて現実的、そして「散文的」と感じもするであろう。引用の詩において、作者が風俗壊乱の罪で(師フロベールを追うように)裁判に訴えられることになりかけたのも、まさしく詩におけるリアリズムの実践故に他ならない。

 けれども詩人モーパッサンは、いたずらに「散文的」な詩を書くことに努めたばかりではない。現実の中に見出される詩情を、詩作品の中に結晶化させる努力は、物質主義的と呼ぶべき独自の世界観を極限にまで押し進め、これを純化する。
 『詩集』所収の作品の多くは恋愛を身体的な欲望・衝動の次元において捉え、これを表明しているが、もっとも長編である「田舎のヴィーナス」 « Vénus rustique » は、質、量ともにモーパッサンが残した詩篇の総合であり、一つの決算であると言えよう。「田舎のヴィーナス」とは、ロマン主義的理想の卑俗化であると同時に、現実的・身体的美の象徴化であり、モーパッサン詩の理念を端的に表明している。あらゆる人間、動物を魅了してやまない「田舎のヴィーナス」は愛の象徴であるが、ここでは彼女を求めて男達が争う場面を引く。

Mais un corps tout à coup s'abattit sur son corps ;
Des lèvres qui brûlaient tombèrent sur sa bouche ;
Et dans l'épais gazon, mœlleux comme une couche,
Deux bras d'homme crispés lièrent ses efforts.
Puis soudain un nouveau choc étendit cet homme
Tout du long sur le sol, comme un bœuf qu'on assomme.
Un autre le tenait couché sous son genou
Et le faisait râler en lui serrant le cou.
Mais lui-même roula, la face martelée
Par un poing furieux. - A travers les halliers
On entendait venir des pas multiplié. -
Alors ce fut, dans l'ombre, une opaque mêlée,
un tas d'hommes en rut luttant, comme des cerfs
Lorsque la blonde biche a fait bramer les mâles.
C'étaient des hurlements de colères, des râles,
Des poitrines craquant sous l'étreinte des nerfs,
Des poings tombant avec des lourdeurs de massue.
Tandis qu'assise au pied d'un vieux arbre écarté,
Et suivant le combat d'un œil plein de fierté,
De la lutte féroce elle attendait l'issue.
Or quand il n'en resta qu'un seul, le plus puissant,
Il s'élança vers elle, ivre et couvert de sang ;
Et sous l'arbre touffu qui leur servait d'alcôve
Elle reçut sans peur ses caresses de fauve !
(« Vénus rustique » (1879), ibid., p. 104-105.)

けれど突然に、一個の体が彼女の体に襲いかかった。
燃えるような唇が、彼女の唇に押しつけられる。
寝台の様にやわらかく、深い芝草の中で
震える二本の男の腕が、彼女を捕らえる
それから突然に、新しい一撃がこの男を倒す
地面の上に、打ち倒された牛の如く
別の男が膝の下に彼を捕らえ
首を絞めて喘がせた。
しかし彼もまた転がる。顔を強打され
怒りくるった拳によって。-草叢を通して
無数の足音が近づくのが聞こえた。-
その時、それは、影の中、闇の乱闘
発情した一群の男達の争い、さながら牡鹿
ブロンドの牝鹿が牡を鳴かせるように
それは怒りの呻き声、喘ぎ
締め付けられた筋の下、音立てる胸
棍棒のような重さで降りかかる拳。
一方、離れた古い木の根本
自信に満ちた目で戦いを追いながら
彼女は争いの終結を待っていた。
ついに、たった一人、最も力強い者が残り
彼は彼女の方へ身を投げ、血に染まり、酔いしれ
閨房代わりの茂った木の下で
彼女は恐れることなく、野獣の愛撫を受けた!
(「田舎のヴィーナス」、1879年)

 人間を身体的次元において捉え、その欲望や衝動を描き出す限りにおいてモーパッサン詩にリアリズムを見ることが出来るが、しかしその人間が内包する「動物性」を純粋化・極大化して表現している点に、写実を超えた詩人モーパッサンの技法を見てとれる。
 このような作品の優劣の判断はここでは措く。今日的視点からすればモーパッサンの詩作品の、あまりにも男性的な様相は批判されてしかるべきものでもあるだろう。
 しかし確かなことは、1870年代のモーパッサンは自ら詩人をもって任じ、また『詩集』は同時代に好意的な評価でもって迎えられたのでもあった。1880年、高踏派以後、サンボリスム以前の空白の時期にあって、モーパッサンの試みは正当かつ新しいものとして受け取られた点を見逃してはいけない。
 今日、モーパッサンの詩作品を読み返すことの意義は、従って二つの方向から考えられる。
 一つは、作家モーパッサンの全体像を捉え直す上で必要不可欠であり、彼の短篇、長篇に対する新しい視点もまた、詩人としてのモーパッサンの姿を考慮するところから、あるいは得られるかもしれない。
 一方、従来、19世紀後半のフランス詩史は、もっぱらヴェルレーヌ、ランボー、マラルメ、そして象徴主義をもって語られてきた。しかしロマン派、高踏派、サンボリスムという歴史的変遷は、一見自明なものであるけれども、それは今日的視点から選択、限定された歴史観であることも否定出来ない。詳細に見るならば、様々な試みがそこにおいて成された事実がある。
 詳述は避けるけれども、19世紀の詩史を、ことリアリズムという観点から捉えることがもし可能であるとするならば、一方に「純粋詩」を目指し、詩が言語世界に内面化する(従って現実から乖離する)方向があったとするならば、他方、詩を現実と改めて結びつけようとする試みが不在なわけではなかった。自然主義の時代に、自然主義文学者と交流しながら、けれども詩作を試みたモーパッサンの存在は、詩とリアリズムとの関係の再考において、決して端役ではない位置を占めるだろう。
 モーパッサンの詩は今日忘却の内にあると言っても過言ではない。しかしその理由はどこにあるのか。それは真に作品の価値判断だけによるのかどうか、改めて問い直すことも、無意味ではないと考える。





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