モーパッサン
『エラクリユス・グロス博士』(3)

(21章―30章)
Le Docteur Héraclius Gloss (3), vers 1875



(*翻訳者 足立 和彦)



XXI
いかにして優しく愛する
一人の友がいれば十分だと示されたか
最も大きな悲しみの
重荷をも軽くするためには

 博士が告げたように、その日から猿は本当に家の主人となり、エラクリユスは自分を、この高貴な動物のささやかな召使とした。彼は猿を何時間もの間、無限の愛情を込めて注視した。相手に向って恋人のような思いやりを示した。絶えず、愛情表現についての辞書丸ごとを惜し気なく振る舞った。友人にするように手を握り、じっと見つめながら話しかけ、言葉の中で曖昧に思われる点をよく説明し、この動物の生活を、最も優しい心配りと最も心地よい配慮とで包み込んだ。
 そして猿は成すに任せたまま、崇拝者の称賛を受ける神のように平静だった。
 すべて偉大な魂の持ち主は孤独に生きるものだが、それというのも彼らの気高さが民衆の愚かさの平均的な段階を超えたところに彼らを孤立させるからである。それと同様に、エラクリユスもその時まで孤独を感じていた。仕事において孤独であり、希望において孤独であり、戦いと気弱な瞬間においても孤独であり、ついには発見と勝利においてさえ孤独であった。彼はまだ自身の教義を群衆に強いてはいなかったし、最も親しい二人の友、学長と学部長さえも説得することは出来ないでいた。だが、あれほど頻繁に夢見ていた偉大な哲学者を自分の猿の内に発見した日から、博士の感じる孤立感は和らいだのである。
 その動物はかつての過ちの罰によって言葉を奪われているだけであり、同じ懲罰の結果として、前世の記憶に満たされているのだと確信すると、エラクリユスは熱烈に自分の仲間を愛し始め、そしてこの愛情によって彼を襲った不幸の全ての慰めとしたのである。
 しばらく前から、実際、博士にとって人生は一層悲しいものとなっていた。学部長と学長が訪れて来ることはぐっと稀になり、彼の周りに大きな空虚を作り出していた。彼らは毎日曜日に夕食に訪れることもやめてしまったが、それは彼が食卓に生命持つ食物を供するのを禁じて以来だった。規則の変更は彼にとっても同じように大きな喪失だったし、時々は、真の悲しみの規模にまで達した。かつては昼食のまことに甘美な時間を辛抱しきれずに待ち望んでいた彼が、今ではほとんど恐れているのだった。彼は悲しげに食堂に入るが、もはや期待すべきような心地よいものは何もそこにないと知っているからで、また、彼は絶えず鶉の串焼きの思い出に取りつかれており、後悔のように苛まれるのであったが、なんと! それは、あれほどに貪ってしまったという後悔では少しもなく、むしろ永遠にそれを断ってしまったという絶望なのだった。



XXII
どこで博士は発見したか、思っていた以上に
猿が自分に似ているということを

 ある朝、エラクリユス博士は異様な物音に目を覚まさせられた。彼はベッドから飛び出し、急いで服を着ると台所に向った。そこから叫び声と異常な足踏みの音が聞こえたのである。
 長い間、主人の愛情を奪った闖入者に対する、もっとも陰険な復讐計画を頭の中で巡らした後、腹黒いオノリーヌは、これらの動物たちの好みと好物とを知っていたので、何らかの策略を使って、台所のテーブルの脚に哀れな猿を固く縛り付けることに成功したのだった。それから、相手がしっかり縛り付けられているのを確かめると、彼女は部屋の反対の隅に引き下がって、相手の欲望を掻き立てるに最も相応しい好物を見せて楽しみながら、タンタロスの恐ろしい責め苦を受けさせた。それは地獄においてもとんでもない罪を犯した者にしか課されないものである。そして倒錯した家政婦は大口を開けて笑い、女だけが思いつけるような凝った拷問を想像していた。遠くに差し出された美味しそうな料理を前に、人間-猿は怒りに身をよじり、巨大なテーブルの脚に縛り付けられているのを感じて激昂し、怪物のようなしかめっ面をすると、それが心惑わす虐待者の喜びを倍増させるのだった。
 遂に、嫉妬にかられた主人たる博士が敷居に現れたちょうどその時、この恐ろしい罠にかかった犠牲者は、驚異的な奮起で身を縛る紐を引きちぎり、憤慨したエラクリユスの乱暴な介入を待つまでもなく、この四つ手の新しいタンタロスがどんなごちそうを腹に詰め込んだであろうかは、神のみぞ知ることである。



XXIII
いかにして博士は気づいたか
猿が卑劣にも自分を騙していたことを

 この度は怒りが尊敬に勝った。そして博士は猿-哲学者の喉元を掴むと、うめく相手を書斎まで連れて行き、輪廻転生論者の背骨がかつて受けた最もひどい折檻を加えた。
 エラクリユスの手が疲れて、哀れな動物の喉を少しばかり離した時に、彼の犯した罪といえば、自分より高等な兄と余りに似過ぎた好みを持っていただけなのであるが、猿は侮辱された主人の手をかい潜り、机の上に飛び乗り、書物の上に載った博士の大きな嗅ぎ煙草入れを掴むと、中を大きく開いて持ち主の頭に投げつけた。博士はどうにか目を瞑って煙草の竜巻を避ける余裕しかなかったが、そうしなければ間違いなく盲目になっていたことだろう。目を開いた時には、犯人は消えており、彼が作者だと思われていたあの手稿を持ち去っていたのであった。
 博士の驚愕は限りないものだった―そして彼は狂人のごとく逃亡者の残した跡を追って駆け出しつつ、貴重な羊皮紙を取り戻すためにはどんな犠牲も厭わないと覚悟を決めていた。彼は家の中を地下室から屋根裏まで巡り、あらゆる戸棚を開け、あらゆる家具の下を覗き込んだ。調査は全く何ももたらさないままだった。とうとう、絶望して庭の木の下に座りに行った。少し前から頭の上に軽い何かが当たっているような気がしたが、風に飛ばされた枯れ葉だろうと思っていた時に、目の前の小道を紙つぶてが転がるのを目にした。彼はそれを拾い上げ―そして開いた。なんということ! それは手稿の一ページだった。彼は驚愕して頭を上げた。そして忌まわしい動物が同じように新しい弾を静かに準備しているのを目にした―そして、そうしながら、怪物は満足げに顔をしかめて笑ったのであるが、それがあまりにもぞっとするものだったので、アダムが宿命の林檎の実を取るのを見た時のサタンでさえ、確かにこれ以上に恐ろしい笑いは見せなかった。イヴからオノリーヌに至るまで、女性が絶えず我々に差し出すあの林檎である。これを目にするや、恐ろしい光が突然に博士の精神の内に差し込んだ。そして彼は、自分がこの腹黒い毛むくじゃらに騙され、弄ばれ、かつがれていたことを理解した。こいつは法王やスルタンでないのと同様に、待望の著者でもなかったのだ。貴重な著作は丸ごと消えてしまっていただろう、もしもエラクリユスが傍にある散水用のポンプに気付かなかったならば。それは庭師が遠くの植え込みに水をかけるために用いるものであった。彼は素早くそれを掴み、超人的な速さで操作すると、裏切り者にまったく不意の水浴びをさせてやったので、彼は枝から枝へと逃げながら甲高い叫び声をあげ、そして突然、巧妙な戦略から、恐らくは一時の猶予を得るために、引き裂かれた羊皮紙を敵の顔の真ん中めがけて投げつけた。それから素早く自分の陣地を離れ、家へと走って行ったのだった。
 手稿が博士に触れるより前に、感動に打たれ、博士は手足を宙に仰向けに転がった。身を起こした時には、この新しい侮辱の仕返しをする力もなく、苦労して書斎に戻ると、少なかる喜びをもって、ただ三ページが失われただけだということを確認したのである。



XXIV
エウレカ

 学部長と学長の訪問が、彼を意気消沈から引き出した。三人は一二時間、唯一、輪廻転生の一語を口にしないままに会話をした。だが二人の友が暇を告げる時になって、エラクリユスはそれ以上堪えていることが出来なかった。学部長が熊皮の大きな外套をはおっている間に、彼は話しやすい学長を脇に呼んで、自分の不幸についてすっかり話した。どんな風に手稿の著者を見つけたと信じ、どんな風に騙され、どんな風に情けない猿が最も卑劣な仕方で彼を弄び、どんな風に捨てられ、絶望に陥ったかを語った。そして自分の幻想が廃墟と化したのを前にエラクリユスは泣いた。学長は感動してその腕を取った。彼が話そうとした時に、学部長の上げた「ああ、これだ、来たまえ、学長」という低い声が玄関に響いた。そうして彼は、不幸な博士を最後に抱擁すると、ほほ笑みながら優しい声で、聞き分けのない子供を宥めるように言った。「さあ、落ち着くんですよ、友よ、誰が知るでしょう、もしかしたらあなた自身が、その原稿の著者かもしれないんですから」
 それから彼は、驚くエラクリユスをドアに残したまま、通りの暗がりへと入って行った。
 博士はゆっくりと書斎へ上がって行きながら、刻々と口の中で呟いていた。「私がもしかしたら原稿の著者かもしれない」著者が再び現れる度にこの資料を再発見した仕方について、彼は注意深く読み返した。それから彼はどんな風に彼自身、それを発見したかを思い出した。あの幸福な日に先立った、天佑の予告のような夢、ヴュー・ピジョン小路に入って行く時の感動、それら全てが明確に、くっきりと、輝くばかりに蘇った。その時、彼はまっすぐに立ち上がり、啓示を受けた者のように両腕を伸ばし、そして響き渡る声で叫んだ。「私なのだ、私なのだ」震えが家中を駆け抜け、ピタゴラスは激しく吠え、動揺した動物たちは突然に目を覚まして動き始めた。まるでそれぞれが自分の言葉で、輪廻転生についての預言者の偉大なる再生を言祝ごうと望んでいるかのように。それから、超人的な感動に捉われ、エラクリユスは腰を下ろすと、彼はこの新しい聖書の最後のページを開いた。そしてその続きに、敬虔な気持ちで自分の人生全部を書き記し始めたのである。



XXV
我ハ我ナリ

 この日から、エラクリユス・グロスは巨人的な高邁さに捕われた。メシアが父なる神から発するように、彼は直接にピタゴラスから発したのだ、いやむしろ、彼自身がピタゴラスだったのであり、かつてこの哲学者の体の内に生きたのだ。彼の系譜はかくしてもっとも封建的な代々の家系にも挑むものとなった。彼は尊大な軽蔑の内にあらゆる偉人を包みこみ、彼らの最大の偉業とて彼のものに比べれば取るに足らないものに思われた。そして人々と動物の間にあって、彼は崇高な気高さの内に孤立した。彼は輪廻転生であり、彼の家はその神殿となった。
 彼は女中と庭師に対して、有害という評判のある生物をも殺すことを禁じていた。彼の庭には毛虫とカタツムリが繁殖し、彼の書斎の壁には、毛の生えた脚の大きな蜘蛛という形態のもとに、かつての人間がぞっとするような変化した姿を見せて歩いていた。それ故にあの忌まわしき学長は言うのであった。もし全ての元たかり屋が彼らなりの仕方で変身し、大変敏感な博士の頭上で落ち合うのであれば、彼は、これら哀れな階層落ちした寄食者に向って争いをしかけないように注意するだろうと。尊大さの絶頂において唯一エラクリユスを困らせたのは、絶えず動物たちがお互いを貪り合うのを見ることであり、蜘蛛は通り過ぎる蠅を狙い、鳥は蜘蛛を運び去り、猫は鳥を喰らい、そして彼の犬のピタゴラスは、自分の歯の届く範囲を通る猫を欠かさず、喜んで捕えて息の根を止めるのだった。
 朝から晩まで、動物の階層のあらゆる段階における、ゆっくりと進んで行く輪廻転生の歩みを彼は追跡していた。溝で餌をあさる雀を眺める内に突然に理解することがあった。蟻たち、あの永遠にして先見性ある労働者たちには大きな感動を与えられた。彼は蟻たちの内に、全ての暇人、無用人を見てとったが、彼らは過去の無為と吞気さを償うために、この執拗な労働の刑を命じられているのだ。彼は何時間も草の中に鼻を突っ込んだまま彼らを観察して過ごし、そして自分の洞察力に驚かされるのだった。
 それからはネブカドネザルのように、彼は四足で歩き、犬と一緒に埃の中を転がり、動物たちと共に生き、彼らと共に寝転がった。彼にとって人間は少しずつ創造界から消えて行き、やがてはそこに動物しか見なくなった。彼らを凝視すると、自分が彼らの兄弟であることをしみじみと感じるのだった。もはや彼らとしか会話をせず、たまたま人間に話をしなければならない時には、異邦人たちの中にいるように麻痺し、内心では同朋どもの愚かさに憤慨するのだった。



XXVI
マレシュリ通26番地
果物屋、ラボット夫人の
勘定台の周りで話されたこと

 バランソン大学の学部長の料理名人たるヴィクトワール嬢、前述の大学の学長の家政婦、ガートルード嬢、そして聖ユラリー教会の司祭であるボーフルリー神父の女中、アナスタジー嬢、これが尊敬すべきサークルであり、ある木曜日の朝、マレシュリ通26番地、果物屋ラボット夫人の勘定台の周りに集まっていた。
 これらのご婦人は左手に食糧品の籠を持ち、髪の上には可愛らしく乗った小さな白いボンネットを被り、ボンネットはレースと丸襞で飾られ、紐が背中に垂れ下がっており、彼女たちはアナスタジー嬢の話を興味深く聞いていた。彼女は、まさに前日、ボーフルリー神父がどんな風に五匹の悪魔に取りつかれた哀れな女の悪魔祓いを行ったかを話した。
 突然、エラクリユス博士の女中、オノリーヌ嬢が突風のように入って来て、椅子に倒れ込むと、激しい感情に息を詰まらせたが、それから、皆が十分に気を引かれているのを目にすると彼女は叫んだ。「いいえもうあんまりですわ、言いたいことを言うべきですもの。私はもうあの家には居られません」それから両腕で顔を隠し、彼女は嗚咽し始めた。一分後、少し落ち着いて彼女は続けた。「結局、彼が狂ったとしても、それはあの可哀そうな人が悪いんじゃないんです」―なんですって? とラボット夫人が訊ねた。―私の主人、エラクリユス博士ですわ、とオノリーヌ嬢は答えた。―それじゃああなたのご主人は気がふれてしまったって、学部長さんがおっしゃっていたのは本当なのね? ヴィクトワール嬢が質問した。―きっとそうなのよ! アナスタジー嬢が叫ぶ。司祭さまは先日、ロザンクロワ神父さまに向って、エラクリユス博士は本当に神に見放されたお人だって断言なさっていたわ。彼はどこかのピタゴラスさんに倣って動物を熱愛しているけれど、ピタゴラスというのはルターと同じように忌まわしい不信心者だそうよ。―何か新しいことが、とガートルード嬢がさえぎる。あなたの身に起こったの? ―思ってもみてよ、とオノリーヌはエプロンの端で涙を拭きながら答えた。もうすぐ六カ月にもなる前から、私の可哀そうな主人は動物に狂っていて、もしも蝿でも殺すのを見ようものなら、私をドアの外に追い出すのよ。私はあの家に十年近くもいるというのに。動物を愛するのは結構よ。でもあれらは私たちのために作られているのに、博士ときたらもう人間のことは頭になくて、動物しか見ていないし、動物に仕えるために自分は作られ、生まれて来たんだと信じていて、思慮深い人を相手にするように話しかけ、動物の内に彼に答える声を聞いているらしいわ。とうとう、昨日の夜、ネズミが私の食糧を食べているのに気づいたから、私は食器棚にネズミ捕りを仕掛けたの。今朝、一匹かかっているのを見たから、私は猫を呼んでくれてやろうとした時に、主人が怒ったように入って来て、手からネズミ捕りを奪うと、貯蔵食の中にその動物を放ったわ。それから私が怒ったものだから、あの人は帰って行って、私をくず屋の女以下に扱うのよ」数秒の間、大きな沈黙が生まれた。それからオノリーヌ嬢は続けた。「結局、私はあの可哀そうな人を非難するんじゃないの。あの人は狂っているのよ」
 二時間後、博士の鼠の話はバランソン中の台所を一周した。正午には、街のブルジョアたちの食事時の話題だった。八時に、裁判長はコーヒーを飲みながら、彼の家で食事をした六人の司法官にその話をした。この紳士方は、それぞれ重々しい格好をして、夢見心地でそれを聞いていたが、ほほ笑みもせずに頭を振っていた。十一時に、夜会を開いた知事は、六人の行政に携わるマネキンを前にそのことを心配してみせ、彼は、グループからグループへと悪口と白ネクタイとを渡らせていた学長に意見を求めたので、学長は答えた。「結局のところそれが何を証明するでしょう、知事殿。もしラフォンテーヌが生きていたら、新しい寓話を書いて「哲学者の鼠」と題したことでしょう。それはこんな風に終わるんです」

 二者の内で愚かなのは、人がそう思う方ではない。


(訳注:bêteには「愚かな」の他に「動物」の意もある)



XXVII
かくしてエラクリユス博士は
イルカのようには少しも考えなかった
水から猿を引き上げたイルカは

・・・そいつを再び水に沈め、探しに行く
誰か人間を助けるために。

 翌日、エラクリユスが外出した時、皆が興味深げに彼が通って行くのを眺め、彼を見るために振りかえりさえするのに気がついた。自分に向けられる注意に最初は驚いた。彼は理由を探し、自分の教義が恐らくは知らない間に広まり、自分は市民から理解され始めているのだろうと考えた。すると突然に、これらブルジョアに対する大きな愛情の念が訪れ、彼らの内に既に熱狂的な弟子を見るのであった。そして彼はほほ笑みながら、民衆の中にいる国王のように左右に挨拶し始めた。背後に聞こえるひそひそ話が彼には称賛の囁きのように思え、学部長と学長が近い内に見せるだろう困惑を思って歓喜に輝いた。
 そんな風にして彼はラ・ブリル河岸までやって来た。数歩先では、子供たちの集団が動き回り、大声で笑いながら水に向って石を投げている一方、日向でパイプを吹かす船乗りたちは、この子供らの遊びを面白がっているようだった。エラクリユスは近寄り、それから突然に、胸に大きな一撃を受けた男のように後ずさりした。岸から十メートルのところに、代わる代わる沈んだり浮いたりしながら、子猫が川に溺れていたのである。哀れな小動物は岸に着こうと絶望的な努力をしていたが、水面に顔を上げる度に、この断末魔の苦しみを楽しむ悪童の一人の投げた石のために、また姿を消すのであった。意地悪い子供たちは上手さを競い、お互いに囃し立て、うまい一撃が惨めな動物に当たると、岸では笑いが爆発し、喜びに足を踏み鳴らすのだった。突然、尖った小石が額の真中に当たり、白い毛並みの上に一筋の血が現われた。その時、処刑人たちの間に狂乱の叫びと喝采が沸き起こったが、それは突然に恐ろしいパニックに変わった。青ざめ、怒りに震え、目の前のものをひっくり返し、手足で叩きながら、博士はこの子供たちの中へ、羊の群れへ入る狼のように飛び込んで行ったのである。恐怖はあまりに大きく、逃走があまりに速かったので、恐怖に駆られた一人の子供が川に飛び込み、姿を消した。その時、エラクリユスは素早くフロックコートを脱ぎ、靴を脱ぐと、彼もまた水へ飛び込んだ。つかの間、彼が力強く泳ぎ、まさに消えんとする瞬間に猫を掴むと、勝ち誇って岸へ戻って来るのが見られた。それから彼は標石の上に腰を下ろし、死から引き揚げてやったばかりの小動物を拭いてやり、口づけし、撫でてやり、息子にするように愛を込めて腕に抱え込みながら、二人の船乗りが地面に連れ戻した子供には関心を示さず、背後に起こった騒ぎにも無関心で、彼は大股に家へ向かって出発したが、岸に靴もフロックコートも忘れて行ったのだった。



XXVIII
以下の物語は読者に示すだろう、
同朋を攻撃から守ろうと望み、
人間よりも猫を助けるほうが価値があると信じると、
いかに隣人たちの怒りを掻き立てずにはおかないか、
いかに全ての道はローマへと通じ、
そして輪廻転生は狂人の施療院へと通じているか。
(バランソンの星)

 二時間後、民衆の大群衆が騒然と叫び声をあげながら、エラクリユス・グロス博士の窓の前へと押し寄せて来た。やがて霰のように降る投石がガラスを割り、大勢がドアを押し破ろうとするところに、道路の先に憲兵隊が現われた。少しずつ静けさが戻り、遂には群衆は四散した。だが翌日まで、二人の憲兵が博士の家の前で見張りを続けたのだった。博士は夕べの時を異常なほどに動揺して過ごした。下層民の暴動の理由を、彼に反対する司祭たちに扇動された無知な者たちと、新しい宗教の発生がいつも掻き立てずにおかない、旧派の信者たちの憎しみによるものだと説明づけた。彼は殉教を願うほどに興奮し、処刑人たちの前で自分の信仰を告白する準備も出来ていると感じていた。彼は部屋に入るだけの動物を来させた。そして太陽は、犬と山羊と羊に囲まれ、胸に自分の助けた小猫を抱いて眠る彼を目にしたのであった。
 ドアが激しく叩かれて彼を目覚めさせ、オノリーヌは大変尊大な一人の男性を迎え、二人の護衛の巡査が従っていた。彼らから少し離れた後ろには、警察付きの医者が隠れていた。尊大な男性は警察署長であると名乗り、エラクリユスに付いて来るように慇懃に促した。彼は大変に驚いて従った。一台の車がドアの前に待っていて、彼は中へ上がらされた。それから、署長の隣に座って、医者と護衛の一人を前にすると、もう一人は御者の傍の席に着き、エラクリユスはユダヤ人通、市役所前の広場、オルレアンの乙女大通りを通って行くのを目にし、最後に陰欝な様子の大きな建物の前に止まったが、その扉の上には「精神病院」の文字が書かれていた。直ちに恐ろしい罠にかけられたことを彼は悟った。敵たちの恐るべき巧妙さを理解すると、全身の力を込めて通りへ飛び出そうと試みた。力強い二本の腕が彼を元の場所へ引き戻した。それから、彼と彼を監視する三人の男たちの間に凄まじい争いが起こった。彼はもがき、身をよじり、叩き、噛みつき、怒りにうめいた。遂に、彼は打ちのめされ、固く捕縛され、不吉な建物へと運ばれて行くのを感じ、大きな扉が不気味な音を立てて背後で閉められたのだった。
 それから彼は奇妙な様子をした狭い独房へと入れられた。暖炉、窓、そして鏡には頑丈な格子がはめられ、ベッドと唯一の椅子は鉄の鎖でしっかり床に結びつけてあった。この牢獄の住人が持ち上げたり動かしたり出来る家具は一つも無かった。それでも、次に起こった出来事によって、こうした用心が余計なものではないことが知れたのである。彼用の全く新しいこの住居にいる自分に気づくや、博士は怒りに襲われ息も詰まるほどだった。彼は家具を壊し、格子を引き抜き、ガラスを割ろうとした。それが出来ないと分かるや、床に転がってあまりに恐ろしい唸り声を上げたので、作業服を着て一種の制帽を被った二人の男が突然入って来たが、後ろには禿頭で全身黒づくめの背の高い男性がついていた。この人物の合図によって、二人の男性はエラクリユスに飛びかかり、瞬く間に拘束衣を着させた。それから二人は黒服の男性を眺めた。彼は一瞬博士を凝視してから手下の方を向いた。「シャワー室へ」と彼は言った。そしてエラクリユスは広々とした冷たい部屋へと運ばれ、その真中には水の入っていないたらいがあった。彼は服を脱がされる間も絶えず叫びつづけていたが、それからこの浴槽の中に入れられた。そして、状況を把握するよりも前に、北極地方においてさえ、かつて人間の肩の上に落ちたこともないような最も恐ろしい氷水のなだれに打たれ、彼は完璧に息を詰まらせた。すぐさまエラクリユスは黙った。黒服の男性は常に彼を注視していた。彼は尊大に相手の脈を取り、そして言った。「もう一度」二度目のシャワーが天井から降って来て、博士は震え、喉元を締め付けられ息を喘がせながら、凍りつくような浴槽の底へと倒れ込んだ。次いで彼は運び出され、十分温かい毛布に包まれると、独房のベッドに寝かされた。彼は三十五時間、深い眠りに沈んだ。
 翌日目を覚ますと、脈拍は正常で頭は軽かった。少しの間自分の状況について考えると、それから彼は気をつけて持って来ていた手稿を読み始めた。やがて黒服の男性が入って来た。食事を載せたテーブルが運ばれ、二人は頭を突き合わせて食事を摂った。博士は前日のシャワーを忘れていなかったので、十分に穏やかで十分に礼儀正しく振る舞った。同じような災難に値しうるような話題には一言も触れず、最大限興味ある風に長々と話し、宿主に自分はギリシャの七賢人と同じくらいに健全な精神を備えていることを証明しようと努めた。
 黒服の男性は別れ際、エラクリユスに施設の庭を一巡りすることを進めた。木々の植わった大きな四角形の中庭だった。五十人ばかりが散歩しており、ある者は笑い、叫び、長広舌をふるい、他の者は重々しく、憂鬱だった。
 最初に博士の目にとまったのは、背が高い男で、長い顎ひげと長い髪が白く、額を俯けて一人で歩いていた。何故かは分からないけれど、この男の運命が彼を惹きつけ、同時に、未知の男は顔を上げ、エラクリユスをじっと見つめた。それから二人はお互いに歩み寄り、儀式ばって挨拶を交わした。そして会話が始まった。相手の名前はダゴベール・フェロルムといい、バランソンの中学で外国語の教師をしていたことを博士は知った。この男の脳に調子外れなところは何も見られず、彼をこのような場所に連れてくることになりえた事情について自問している時に、相手は突然立ち止まると、彼の手を取って、固く握りながら低い声で尋ねたのだった。「あなたは輪廻転生をお信じになりますか?」博士はよろめき、口ごもった。二人の視線が出会い、数秒の間二人ともが立ったまま互いを凝視し合った。遂に、感動がエラクリユスを打ち負かし、目から涙が溢れ出した―彼は腕を開き、二人は抱擁し合った。それから打ち明け話が始まり、やがて二人は、自分たちが同じ光明に照らされ、同じ教義が頭に浸み込んでいることを認めた。二人の考えが触れ合わないような点は無かった。だが、思想のこの驚くべき類似を確かめるにつれ、博士は奇妙な居心地の悪さに捕らわれてゆくのを感じた。未知の者が彼の目に大きく映れば映るほど、自己評価において自分が一層小さくなるように思われたのである。嫉妬が彼の心を苛んだ。
 相手が突然に叫んだ。「輪廻転生とは私である。私が魂の進化の法則を発見し、私が人間たちの運命を測った。私こそがピタゴラスだったのだ」博士は突然に動きを止め、経帷子よりも白くなった。「失礼ですが」と彼は言った。「ピタゴラスは私です」そして二人は新たに互いを見やった。男は続けた。「私は順番に、哲学者、建築家、兵士、農民、修道僧、幾何学者、医者、詩人、そして水夫だった。―私もです、とエラクリユスは言った。―私は我が生涯をラテン語で、ギリシャ語で、ドイツ語で、イタリア語で、スペイン語で、そしてフランス語で記した」未知の男が叫んだ。エラクリユスは答えた。「私もです」二人ともが動きを止め、剣の切っ先にように尖った視線が交錯した。「百八十四年」に」相手が叫んだ。「私はローマに住み、私は哲学者だった」その時博士は、嵐に飛ばされる木の葉よりも震えながら、ポケットから貴重な書物を取り出し、敵対者の鼻先に武器のように振りかざした。彼は後ろに飛びすさった。「私の手稿」彼はうめいた。そして手を伸ばしてそれを掴もうとした。「これは私のものだ」エラクリユスはうめき、驚くべき敏捷さでもって、議論の的を相手の頭上に掲げ、手を代えながら背中に回し、次々と尋常ならざる変化を与えながら、ライヴァルの激しい追求をかわした。相手は歯ぎしりし、足を踏み鳴らし、わめき立てた。「泥棒! 泥棒! 泥棒!」遂に、敏捷かつ巧妙な動きで、エラクリユスが遠ざけようとしていた紙束の端を掴むことに成功した。数秒の間、それぞれが同じような怒りと力でもって引っ張り合った。それから、どちらもが譲らないので、二人の間の物理的連結符を務めていた手稿が、自ら均等に二つに分かれることによって、亡きソロモン王がなしえただろうほどにも賢明に争いを終えさせた。それによって争っていた者たちは互いに十歩離れたところに素早く座りに行くことになり、それぞれが震える手に勝利の半分を握りしめたままだった。
 二人は立ち上がらず、再びお互いを調べ合ったが、ライヴァル同士の二人の強者が、相手の力を測った後にもう一度戦うのをためらっているかの如くだった。
 ダゴベール・フェロルムが最初に敵意を取り戻した。「私がこの手稿の作者であるという証拠に」と彼は言った。「私はあなたよりも前にそれを知っていた」エラクリユスは答えなかった。
 相手は続けた。「私がこの手稿の作者であるという証拠に、私はそれを書くのに用いた七カ国語で端から端までを暗誦することができる」
 エラクリユスは答えなかった。彼は深く瞑想していた。彼の内には革命が起こっていた。疑うことは不可能であり、勝利は相手にあった。だが願いの全てを込めて熱望していたあの著者が、今は偽りの神であるかのように彼を憤慨させるのだった。それは、彼自身がもはや権利を奪われた神でしかなくなるがために、彼は神性に対して反抗したからであった。自分が手稿の著者であると信じる以前には、彼は著者に出会うことを熱烈に望んでいた。だが自ら「私がそれを成したのであり、輪廻転生とは私である」と言うに至った日から、彼はもはや、誰かが自分の地位に立つことには同意出来なくなった。別の者に住まわれるのを見るぐらいなら自分の家を焼いてしまう者たちに似て、自らのために築いた祭壇に見知らぬ者がのぼった途端に、彼は神殿と神を焼いた。彼は輪廻転生を火にくべたのだった。だから、長い沈黙、ゆっくりと重々しい声で彼は言ったのである。「あなたは狂っている」この言葉を聞いて、敵対者は狂者のように飛びかかって来たので、監視人が駆け寄って来て、宗教戦争の革新者たちをそれぞれの住居に連れ戻さなければ、最初のより凄まじい戦いがもう一度始まるところだった。
 一か月近くの間、博士は少しも自分の部屋を出なかった。日々を一人で過ごし、手で頭を抱え、深く考えに没頭していた。学部長と学長が時々会いにやって来て、穏やかに、巧みな比喩や繊細なほのめかしによって、彼の精神の内で行われている仕事の手助けをしたのだった。そうして彼に、ダゴベール・フェロルムとかいうバランソンの中学校の外国語教師が、ピタゴラス、アリストテレス、プラトンの教義についての哲学概論を執筆する内にどのように狂気に陥ったかを教えた。その概論を彼は皇帝コモドゥスの時代に書き始めたものと想像したのだった。
 遂に、太陽の輝くある日、我に帰った博士、良き日々の頃のエラクリユスは、生き生きと二人の友の手を握り、輪廻転生を、その動物状態における贖罪を、その種々の転生を永久に放棄したと宣言し、胸を叩いて自らの過ちを認めたのであった。
 一週間後、彼の前で救済院の扉が開かれた。



XXIX
いかにして時に人はカリブデスを避けてもスキラに出会うか

 宿命の建物を離れると、博士は一瞬敷居のところで立ち止まって、胸一杯に自由の大気を吸い込んだ。それから以前の軽々とした足取りを取り戻して自分の住居へと向かった。五分歩いたところで、一人の子供が彼を目にして突然長い口笛を吹くと、すぐに同じような口笛が隣の通りから応えた。直ちに二番目の悪童が駆けつけ、最初の者がエラクリユスを仲間に示しながら、あらん限りの声で叫んだ。「ほら、動物狂いの男が精神病院から出て来たところさ」そして二人そろって博士の後ろにくっついて歩きながら、見事な才能でもってありとあらゆる知っている動物の鳴き声を真似し始めた。十人ばかりの悪童たちがやがて加わり、元輪廻転生論者のお供をしたが、やかましいのと同じくらいに不愉快なものであった。内の一人が博士の十歩ばかり前を歩き、旗の代わりに箒の柄を持ち、先には恐らくどこかの車よけの隅で見つけて来た兎の毛皮が結び付けてあった。別の三人がすぐ後ろにつき、太鼓の連打音を真似し、次いでおびえた博士が現われるが、フロックコートの中で硬直し、帽子を目深に被り、軍隊の中にいる将軍のようだった。彼の後ろにはわんぱく坊主たちの一団が走り、跳ね回り、逆立ちし、鳥の鳴き声、牛のうめき声、犬のほえ声、猫の鳴き声、馬のいななき、牛の鳴き声、こけこっこうと叫び、まだ無数の陽気なことを思いつき、ドアの前に出て来たブルジョアたちの最高の娯楽となった。エラクリユスは驚愕し、次第に足を速めていった。突然、うろついていた犬がやって来て彼の股をくぐった。怒りの波が博士の頭に上り、哀れな動物がかつて受けたこともない強烈な蹴りを食らわせたので、犬は苦痛にうめきながら逃げて行った。凄まじい喝采がエラクリユスの周囲で弾け、我を失った彼は全力で駆け出したが、いつまでも地獄の行列に付きまとわれた。
 一団は竜巻のように街の主だった通りを抜け、博士の家にぶつかった。博士はドアがわずかに開いているのを目にするとそこへ駆け込み、背後でドアを閉め、走るのをやめないまま書斎に上がると、そこで彼は猿に迎えられ、相手は歓迎の印として舌を出して見せた。この光景に、あたかも亡霊が目の前に屹立したかのように彼は後ずさりした。彼の猿は、あらゆる不幸の生きた記憶であり、狂気と、今しがた耐えたばかりの屈辱と侮辱の原因の一つであった。彼は手の届くところにあった樫で出来た腰掛けを掴むと、一撃で哀れな四足動物の頭蓋を叩き割った。猿は物体のように殺害者の足元に倒れた。それから、この処刑に慰められると、彼は肘掛椅子に倒れ込み、フロックコートを脱いだ。
 そこにオノリーヌが現われ、エラクリユスを見て喜びに失神しそうになった。歓喜の内に、彼女は主人の首に飛びつき、両頬にキスをして、世間の目には主人と召使を隔てているように見えていた距離のことをそんな風にして忘れた。それは人の言うところでは、かつては博士が例を示したことであった。
 しかしながら悪童たちの一団は散りもせず、ドアの前でひどい大騒ぎを続けていたので、エラクリユスは我慢出来ずに庭へと降りて行った。
 恐ろしい光景に彼は衝撃を受けた。
 オノリーヌは主人の狂気を嘆いてはいたが、本当に彼を愛していたので、彼が戻って来た時に心地よい驚きを与えられるように配慮していた。彼女は母のように、以前にこの場所に集められていた動物たちの世話をしていたので、あらゆる種に共通する多産さのお陰で、この時庭は、大洪水の水が引いた後にノアがあらゆる種の生物を集めていた方舟の中が見せたであろうものとよく似た光景を示していたのである。それは混然とした集団、動物たちの大繁殖であり、その下に樹木も茂みも草も地面も見えなくなっていた。枝々は鳥の大群の重みにたわみ、その下では犬、猫、山羊、羊、雌鶏、鴨そして七面鳥が埃の中に転がっていた。大気は様々な喧噪に満ち、それは家の反対側に集まった子供たちが発しているのと全く同じであった。
 これを見てエラクリユスはもう我慢出来なかった。壁に置き忘れられていた鋤に飛びつくと、ホメロスが武勲を語る有名な戦士たちにも似て、前へ後ろへと跳ねながら、右へ左へと振りおろし、怒り心頭に発し、口に泡を浮かべながら、全ての無害な友に対して恐ろしい殺戮を行ったのだった。驚愕した雌鶏は壁の向こうへ飛び、猫たちは木によじ登った。彼を前にして何物も恩寵を得ることはなく、それは筆舌に尽くしがたい混乱だった。それから、地面に死骸が積み重なった後、ようやく疲れて倒れると、勝利を挙げた将軍のように彼は戦場に眠ったのだった。
 翌日、熱は消え去ったので、彼は街を一巡りしたいと思った。だが敷居を超えるとすぐに、通りの隅で待ち伏せしていた子供たちが新たに追って来ながら叫び立てた。「やあい、やあい、動物狂いの男、動物の友たち!」そして彼らは昨日の叫び声を数限りなく形を変えて再び始めたのだった。
 博士はあたふたと家に帰った。怒りに息が詰まり、人間を責めるわけにはいかないので、彼はあらゆる種類の動物に向かって、消すことの出来ない憎しみと執拗な戦争とを誓った。その時から、彼には一つの欲望、一つの目的、絶え間ない一つの気がかりしか存在しなかった。すなわち、動物を殺すことである。朝から晩まで彼らを狙い、庭には鳥を捕えるための網を、隣家の猫を扼殺するために雨樋に罠を仕掛けた。家のドアはいつもわずかに開かれ、通りすがりの犬の食欲をそそる肉が見えており、慎みを欠いた犠牲者が誘惑に屈するや、直ちに閉じられるのだった。やがてあらゆる方面から彼に対する苦情が持ち上がった。警察署長は個人的に何度も訪れてはこの執拗な争いをやめるように命じた。彼は数多くの訴訟で訴えられた。しかし何物も彼の復讐を止め得なかった。遂に、憤慨は一般のものとなった。二度目の暴動が街に起こり、憲兵隊の介入がなければ、恐らくは彼は群衆に惨殺されていただろう。バランソン中の医者が警察所に呼ばれ、全員一致でエラクリユス・グロス博士は狂人であると宣言した。もう一度、彼は二人の護衛の巡査に挟まれて街を横切り、目の前で「精神病院」と書かれた扉が閉じられるのを目にしたのである。



XXX
かくして諺
「一層狂っていれば、一層に笑う」
は常に本当ではない

 翌日、彼が施設の庭へと降りて行くと、最初に目に入ったのは輪廻転生の手稿の著者だった。二人の敵は互いにじろじろと見つめ合いながら近づいた。彼らの周りに輪が出来た。ダゴベール・フェロルムは叫んだ。「これが私から我が生涯の著作を奪おうとし、私の発見の栄誉を盗もうとした男だ」群衆の間をささやきが駆けた。エラクリユスは答えた。「これが、動物は人間であり、人間は動物だと主張する奴だ」それから二人は一緒になってしゃべり始め、次第に興奮し、最初の時のようにやがて掴み合いになった。観衆が二人を引き離した。
 この日から、執拗かつ驚くべき根気強さで、それぞれが党派を作るのに躍起になり、少しの間に集団全体が二つの敵対する派に分かれたが、熱狂的かつ執拗で余りにも和解の余地がないので、輪廻転生論者が敵の一人とすれ違うと、必ず凄まじい争いが起こるのだった。流血沙汰を避けるために、所長はやむなくそれぞれの党派に散歩の時間を割り当てたが、それというのもゲルフ党とギベリン党との有名な争い以来、二つの敵対する党派がこれ以上の激しい憎しみに活気づけられたことはなかったからである。少なくともこの慎重な処置のお陰で、敵対する派閥の首領たちは幸福に、愛されて、弟子たちに言葉を聞かれ、従われ、敬われて暮らしたのだった。
 しばしば夜の間、壁の周りをうろつく一匹の犬がうなり声を上げ、ベッドの中のエラクリユスとダゴベールを震えさせる。それは忠実なるピタゴラスで、奇跡的に主人の殺戮を逃れると、彼の跡を追って新しい住居の敷居までやって来たのだった。そしてこの家の扉を開けてもらおうとするのだが、そこには人間だけが入る権利を持っているのである。


『エラクリユス・グロス博士』、1875年頃
Le Docteur Héraclius Gloss (vers 1875), dans Contes et nouvelles, éd. Louis Forestier, Gallimard, coll. « Bibliothèque de la Pléiade », t. I, 1974, p. 9-64.








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