日本の作家が見たモーパッサン

Maupassant vu par les écrivains japonais



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夏目漱石 解説 明治以来の日本の作家がモーパッサンをどのように読んできたか。細々ながら情報を収集し、私見を交えながらご紹介してゆきたい(各種引用は、一応学術的なものということでご了承願いたい)。
 日本人としてモーパッサンを読むということはどういうことなのか。ということを考えることに意味があるのかどうかよく分からないけれど、少なくとも「他人はどう読んだのか」を知りたいというのが文芸批評発生の根本でもあろうし、それが有名な作家となれば自ずと興味も湧く。またモーパッサン文学を考え直す上での指標になることも間違いない。

 日本におけるモーパッサン受容については別稿モーパッサン、翻訳の歴史もご覧頂きたい。上田敏が所持していた英訳本を、独歩や花袋が借り受けて翻訳を試みたあたりから、日本の文壇におけるモーパッサンの一種の流行が始まり、自然主義文学との関連でしきりに論じられた後、いわば広く浸透して、殊更に論じられることは少なくなってゆくまで、すなわち明治30年代から大正時代に文壇に活躍した作家達は、多かれ少なかれモーパッサンを読んだし、賛同したり反発したり、あるいは翻訳して小銭を稼いだりした(右画像の漱石先生は反発した側の代表者)。また昭和以降の作家達もモーパッサンを読んでいないわけでは、もちろんない。
 例えば永井荷風についての座談会(「中央公論」1959年7月)の中で、武田泰淳は「「色男」というのはモーパッサンだね」と述べ、三島由紀夫は「モーパッサンだってフローベルだって、いつでも葛藤から抜けられるところに自分の人生の場所をもった人だ。」と(さらりと)発言している(文芸読本『永井荷風』、河出書房新社、1981年、に再録)。彼等の間には、「モーパッサン」と彼の文学について、ある共通のイメージが存在していると言えるだろう。
 そのイメージが実際のモーパッサン(と彼の文学)と一致ししているかどうかは、ここでは問題ではない。ただそこで漠然と流通している「モーパッサン」の内実はどのようなものであるのかを、幾らかでもはっきりとさせてみたいと思う。
 新しい時代には新しいモーパッサン像こそが作られてしかるべきだ。その新しいモーパッサン像のために、歴史を振り返ってみることは、全然悪いことではないだろう、と考えている。

 なお、日本におけるモーパッサン受容に関しては既に多くの論考がある。本欄はいずれもそれら先行研究に多く負うていることを記しておく。詳細に関しては「文献目録」をご覧頂きたい。



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